映画の「ブタがいた教室」のネタバレアリなんで、この映画を見ようと思っている人は、この記事を読まないようにお願いします。
つか、同和利権のニオイがプンプンする話ですよね。
《東京国際映画祭:星取りレビュー》「ブタがいた教室」
■育てたブタを食べる約束は…
学級でブタを飼って、最後に食べて命の貴さを学ぼう。90年代初め、大阪の小学校で実際にあった試みを映画化した。
6年2組担任の星先生(妻夫木聡)は「命を育てることを、体で感じてほしい」と、最後に食べる約束で子ブタを飼うことを提案する。児童26人は、ブタを「Pちゃん」と名付ける。給食の残りや家庭の残飯を集めてエサにし、雨の日も風の日も世話をする。
卒業を間近にして、愛着のわいたブタを本当に食べるのかと、決心が揺らぎ出す。では、どうするか。白熱した学級会の様子が、この映画の最大の見どころだ。
「もう仲間だから、食べられない」「ブタは食べられるために、生まれてきた」「約束だから食べるべきだ」「他のブタや動物ならいいのか。命に変わりはないはずだ」「命の長さは誰が決めるのか」と収拾はつかない。下級生に引き継ぐか、食肉センターに送るか多数決をとるが同点。最後は担任の1票で、食肉センター送りへ。議論中、子どもたちが流した涙は本物に見え、映画に迫真の力を与えた。(以下略)(
朝日新聞)
妻夫木君はIWGPに出てましたよね。
確かヤクザの役でした。
それはともかくとして、大阪で食肉つったらもう…
思いっきり同和ですよね。
論理としては、こうなります…
育てた豚を殺さなければならない、できることなら誰も豚を殺したくない。
でも、豚を殺さないと生活して行けないし、自分達も飢えてしまう。
生き物を殺すことで同和の人達は差別されてきたけれども、本当はその人達に感謝しなければならない。
だから、同和の人達に利権というか特権をを与えることは正しいことである、と。
要するに、自分の代わりに殺生をしている同和に、特権を与えようじゃないかと、こういうことです。
日本国憲法では職業選択の自由と言うものが保障されているので、嫌な仕事ならやめてしまえば良いだけなんですよね。
ま、実際として職業選択の自由が有るのかって話になると、無いと言えるんですが、一応、このフィクションは憲法である以上、共有しなければならないわけです。
ですから、これでまずは論破は可能です。
それより何よりも問題なのが、ニュース中にある、『「もう仲間だから、食べられない」「ブタは食べられるために、生まれてきた」「約束だから食べるべきだ」「他のブタや動物ならいいのか。命に変わりはないはずだ」「命の長さは誰が決めるのか」と収拾はつかない。下級生に引き継ぐか、食肉センターに送るか多数決をとるが同点。最後は担任の1票で、食肉センター送りへ』ってあるわけなんですけど…
特に問題なのが、「他のブタや動物ならいいのか。命に変わりはないはずだ」コレなんですね。
じゃあ、自分の家で犬を飼っている場合、それをお前は食えるのかと。
食えないならばダブスタもいいところなんですよね「命に変わりはない」んだから、結局のところ、食用かそうでないのかの区別はしなければならないんですよね。
だから、この、学級でブタを飼って、最後に食べて命の貴さを学ぶという試みは、愚かしいことこの上ないんです。
つか、「下級生に引き継ぐか、食肉センターに送るか多数決をとるが同点。最後は担任の1票で、食肉センター送りへ」って、初期の目的がそうだからってのがあるんでしょうけど、児童ではない教師が最終的な決定権を持つってのはどうなのって話ですよね。
つか、1票の差で決まる多数決って、多数決ではないですよね。
ほぼ同数で、誤差の範囲で決まってしまうわけですから。
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